エルジェ(本名:ジョルジュ・レミ)1907-1983

ブリュッセル生まれ。少年時代はボーイ・スカウトに傾倒し、その頃よりドローイングを開始するが1923年より本格的に「ベルギー・ボーイスカウト」誌に作品を発表しはじめる。1928年に新聞の若者向けウィークリー増刊号「プチ20世紀」のチーフ・エディターとなり1929年には自作の「タンタン、ソビエトへ」が同紙に掲載。またたく間に人々の人気を博した。それ以後、タンタンとスノーウィをコンゴ、アメリカ、中国、はたまた月まで送り続け、世界中を駆け巡る24話のタンタン冒険シリーズを我々に残している。ヨーロッパ・コミックの父と称される彼の作品は、今日においても様々なアーティストに影響を与え続けている。
 
1946 9月26日「タンタン・マガジン」第一号が出版される。
これは元レジスタンスのレイモンド・ルブランにより若者向けに新たに発行された週刊誌である。
   
1950 “スタジオ・エルジェ”設立。細かな技術的作業と膨大で緻密な調査、そしてディティールへのこだわりが要求される「月世界探険」に着手したため、エルジェは共同作業者を募った。
   
1955 物語がますますの成功を収めていたタンタンは、広告主たちの興味をひくほどの人気者に。
同時にエルジェは「CHROMOS(着色石版刷りの絵)」コレクションを開発。その中でタンタンは様々な分野の知識を紹介する代弁者となっている。
   
1958 精神療法を受けながらも、「タンタン チベットをゆく」の物語を完成させる。
1960 タンタン、映画界へ進出。ベルギー人のジャン・ピエール・タルボットが、映画「タンタンとトワゾンドール号の神秘」でタンタンを演じる。
彼は1964年「タンタンと水色のオレンジ」にも主演している。

モダンアートに目覚め、それが彼の情熱の源となっていく。妻と離婚。
1969 ブリュッセルのスタジオ・ベルヴィジョンが「太陽の神殿」を基にした長編アニメ映画を制作。
 
1971 初めての訪米。幼少時代から好きだったアメリカの原住民に出会う。
   
1973 キャスターマンが「アーカイブ・エルジェ(エルジェ大全集)」第一巻を出版。
かくして伝統的な「LE PETIT VINGTIEME」紙にて掲載された「THE LAND OF THE SOVIETS」のタンタンが、約40年ぶりに再び公開されることとなった。

35年前に蒋介石夫人より公式に招待を受けていた台湾を訪問。
1976 長編ドキュメンタリー映画「I, TINTIN」公開。これはそのヒーローとその作者へ捧げられた作品である。9月29日、タンタンとスノーウィのブロンズ像の除幕式がブリュッセルで行われた。
   
1977 ファニー・ヴラミックと再婚。
   
1979 ポップアートの巨匠アンディ・ウォーホールが、4枚1セットのエルジェのポートレートを制作。
生誕50周年を迎えるタンタンを祝う催しがひそかにあちらこちらで行われる。エルジェお気に入りのヒーローは、ベルギー郵政局により発行された記念切手にもなった。
1981 チャン・チョン・チェンと嬉しい再会を果たす。
チャンは45年以上前に「青い蓮」で大きな影響を与えた中国人の友人である。
   
1982 75歳の誕生日を祝し、ベルギー航空宇宙局は当時発見された惑星に彼の名前をつける。
惑星エルジェは火星と木星の間にある。
   
1983 3月3日、エルジェことジョルジュ・レミ逝去。

1984 スペインのミロ美術館で「タンタン架空美術館」と前年に他界したエルジェを偲び「エルジェに捧ぐ」を同時開催。
   
1986 タンタン最後の未完の冒険物語「タンタンとアルファート」が出版される。
1987 タンタンを他のイラストレーターに委ねたくないというエルジェの要望に従い、彼の妻であったファニーはエルジェスタジオをエルジェ財団とすることに決める。

パリのポンピドゥーセンターにて「タンタン展」が開催され、ヨーロッパ各地を巡回。
 
1988 ベルギーの地下鉄ストッケル駅の構内に、6×450フィート(約1.85m×137m)のフレスコ画の除幕式が行われる。そこにはエルジェのスケッチをもとにしたタンタンの冒険物語からのキャラクターたちが描かれている。
タンタン・マガジン、廃刊。
1989 フランスのアングレームにある国立漫画センターにて、チャン・チョン・チェンによるエルジェの銅像の除幕式が行われた。
エルジェ財団は「Tintin, 60 Years of Adventures(タンタン、60年の冒険)」という大規模な展示会をロンドン・チェルシーミュージアムで開催。