エルジェ(本名:ジョルジュ・レミ)1907-1983

ブリュッセル生まれ。少年時代はボーイ・スカウトに傾倒し、その頃よりドローイングを開始するが1923年より本格的に「ベルギー・ボーイスカウト」誌に作品を発表しはじめる。1928年に新聞の若者向けウィークリー増刊号「プチ20世紀」のチーフ・エディターとなり1929年には自作の「タンタン、ソビエトへ」が同紙に掲載。またたく間に人々の人気を博した。それ以後、タンタンとスノーウィをコンゴ、アメリカ、中国、はたまた月まで送り続け、世界中を駆け巡る24話のタンタン冒険シリーズを我々に残している。ヨーロッパ・コミックの父と称される彼の作品は、今日においても様々なアーティストに影響を与え続けている。
   
 
1934 ベルギーのトゥールネイを拠点とするキャスターマン出版がタンタンの冒険物語の出版社に決定。

中国人留学生チャン・チョン・チェンと出会う。この出会いにより彼の作品づくりは重大な転機を迎える。

確実に組み立てられたストーリーラインの重要性と参考資料調査の必要性を認識するようになり、それまで単なる楽しみでしかなかったものを真剣に捉えるようになる。
1935 フランスの週刊誌「COEURS VALLANTS」において、ジョー、ゼット、ジョッコという新しいキャラクターを生み出す。この物語は後に5巻出版。
1939 「青い蓮」で中国人の立場にたって物語を描いたことから、そのタンタンの生みの親であるエルジェは蒋介石夫人より中国へ招待される。
しかし、ヨーロッパにおける切迫した戦争によって、彼の訪中は阻まれてしまう。
1940 5月10日、ベルギーはドイツ軍により侵略される。「LE PETIT SIECLE」紙も「LE PETIT VINGTIEME」 紙も共に廃刊となる。当時進められていたタンタンの「燃える水の国」はそれから8年間保留となる。

そのため別の冒険物語を開始。
ドイツ進駐軍により唯一認められた新聞「LE SOIR」紙に掲載された「金のはさみのカニ」がそれである。
1942 フルカラーの規格本(64ページ)の出版を望んだキャスターマン出版はエルジェに対し、この新しい規格に合うよう今までの物語を改作するよう依頼。
 
1944 9月3日に行われたベルギー開放運動によって「LE SOIR」紙におけるタンタンの冒険物語の掲載が終了。
 
1945 新しい規格に従って次々と本を出版。初版本の制作はエルジェにとって試練の連続であった。